2023年のグランドツアー

Interview No.29 小倉 宏志郎
環境・社会理工学院

  環境・社会理工学院建築学系の小倉といいます。東工大は9年目、大岡山は20年目くらいで、東工大の好きなところは家から近いところ、だったのですが東京に帰ってきたら研究室が田町へ移動になってしまいました。転んでもタダでは起きない、の精神をもってして、いい飲み屋でも探そうと思います。

Research Outline

 私は、篠原一男という建築家の図面を研究しています。篠原は東工大OB、名誉教授で、プロフェッサーアーキテクトとして戦後の日本建築界を代表する建築家のひとりで、大岡山駅を出ると目の前に見える、銀色のかまぼこのひっくり返ったのが突き出ているようなあの建物、東工大百年記念館の設計者といえば皆さんにも馴染み深いでしょうか。

南から見た百年記念館

 ご存知のように、百年記念館はわりあい大きく、誰でもアクセスできる建物ですが、実は篠原はプライベートな戸建て住宅を主な設計対象として、図面と写真によって自身の設計した作品を社会に発表することで、その建築の意義を主張した建築家でした。私は、篠原が小さく公共的な用途を持たない建物を設計しながらも、日本現代建築を代表する建築家になりえたひとつの要因として、雑誌や書籍、展覧会での建築作品発表に用いられた図面に着目し、篠原が自身の設計物を社会に伝達するため、試行錯誤を繰り返した建築表現のあり方を明らかにしようとしています。

2023年のグランドツアー

 さて、2023年9月の頭に、一年間滞在したスイス、チューリッヒより帰国しました。本プログラムの学外研鑽として、スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH Zurich)、建築歴史理論研究所(gta)の建築理論講座で、2022年の9月より一年間、客員研究員をしていました。あまり長期の学外研鑽を行っている人を聞かないので、何か参考になればと思い、このチューリッヒ滞在について書きます。

 そもそも、日本人建築家の研究をしている学生がなぜヨーロッパに行ったのかと思われることでしょう。研究対象である篠原には、海外での竣工作品はありません。しかし、篠原は生前から欧米を中心に世界的な知名度のある建築家でした。これはなぜか、と考えていくと、やはり篠原による出版、展示を通じた建築作品の発表が、その評価の形成に大きな影響を与えているのではないか、と思ったのです。そこで、日本でアクセスすることが難しい海外で出版された書籍、雑誌の資料収集とともに、篠原が生前開催した展覧会や当時篠原に協力した建築家、キュレーターを対象に、ヨーロッパ各地でアーカイブ、インタビュー調査をしてきました。ヨーロッパ各地で調査をやってきた、というとなにか国境を超えてすごいことをしてきたかのように錯覚しますが、もちろん実態は体当たりの泥臭いものです。しかも日本でもやったことがない調査を海外で(慣れない英語で)、とにかく手探りでやってみるしかない状況でした。

 まず、大変なのはデータベースとの付き合いです。篠原の作品発表、関連文献などは、自身の作品集にまとまっているのですが、この文献リストが全く信用なりません。表記の揺れや存在しない文献、未掲載の文献も多々あり、完全版を作ろうとすると篠原が生まれてから全世界で出版された全書籍、全雑誌を確認する必要がありそうですが、これは人間には無理でしょう。ひとまず、篠原が作品集のリストに掲載した、いわば篠原が「認知」した文献から探るしかありません。結局、ETHの建築学部図書館に引きこもり、3ヶ月かけてリストに掲載された文献の7割程度まで確認することができました。あとはもうローラー作戦しかありません、主要な建築雑誌のバックナンバーをひたすら確認します。最終的には、リスト未掲載の作品発表も30件程度発見することができました。大変効率が悪いですが、必要な作業です。

 また、篠原が参加した展覧会も、幸運なことに(残念ながら講演会やレクチャーなどのリストは存在しません)作品集にリストがあります。これを確認すると、開催場所や展覧会タイトルはわかりますが、それ以外の情報はありません。例えば開催日は書かれていませんし、結局書かれていた開催年すら不正確でした。展覧会の情報を探るには、やはり当時の文献を漁るのがよく、雑誌などに開催告知や広告が出ていればラッキーです。

 しかし、文献情報からは、当時の開催日時、場所、主催団体などが判明するくらいで、これ以上進むには現地に行かないとわかりません。渡航前に指導教員の奥山先生から、「当時の展覧会会場に行って、追跡調査のようなものをしてきたらどうか」と言われて、なんのアイデアもないまま「やってきます」と答えたのが、こういうことだったのかと腑に落ちました。なんでも書いたり喋ったりしておくと実現してしまうこと、よくありますよね。 では、どうやって展覧会の情報を調査するか、ということを考えます。

篠原がパリで初の個展を開催した会場、現在はジムになっていました

 幸いにも研鑽先の研究所では展覧会を扱う研究者がたくさんいたので色々聞いてみると、主催団体や展覧会会場に連絡してみるのがいいのではないか、ということになり、会場、主催を調べてメールを送りました。もうひたすらパワープレイです。個展とグループ展を合わせて20ほどの展覧会があり、会場も美術館だったり、建築家協会だったり、大学や市庁舎だったり様々ですし、展覧会開催当時から改組、廃止されているところもあります。仮にメールが返ってきても、資料なんかありません、だとか、担当者がいないです、とかはザラです。何ヶ月メールが返ってこなかったある美術館に意を決して電話してみると「あ!メール来てたの忘れてました」なんてこともありました。結局この美術館には資料はありませんでしたが、知らない極東の国のどこの馬の骨ともつかない英語の下手な若者によく対応していただきました。

 そうやってメールを送り続け、展覧会会場のなかからチューリッヒ、パルマ(スペイン)、バルセロナ、パリ、アーヘンと5ヶ所のアーカイブを調査することができました。アーカイブ調査も本当に泥臭い仕事です。簡単に言うと、ひたすら古い書類の入った箱を発掘する作業で、アーカイブの職員の方が当時の資料を探してきてくれるところもあれば、「多分このへんのどこかだと思う〜」と書類の並んだスチールラックが壁一面に並んでいる部屋に通されて絶望したこともあります。仮に資料があったとしても、確認するのがまた大変です。不勉強で自分は英語しか読めませんが、アーカイブにはフランス語、ドイツ語、スペイン語の通信資料や手続き書類が大量にあります。機械翻訳技術の発達によってだいたいの内容を把握するのは簡単になりましたが、ある地域のローカルな言語で書かれた手書きのメモ、なんてことになるともうお手上げです。訪問したアーカイブの職員の方、はたまた幸運にも研鑽先大学には世界各国から研究者が集まっていますから、彼らに頼んで読んでもらったりもしました。調査先からチューリッヒに戻って友人に解読できなかったメモを見せると、なんてことはないパン屋の領収書だったこともあります(展覧会オープン時にパーティーでもしたのでしょう)。

 アーカイブ調査とともに、当時を知る関係者へのインタビューも進めました。実は、アーカイブ調査は対象がモノということもあって、ある意味では気が楽で、というよりも残っていない資料はどうしようもないので諦めがつきますが、インタビューとなるとまた別です。そもそも人に会うのは難しいということを思い知りました。指導教員の知人など、コネクションのある方はメールするのも簡単ですが、展覧会のキュレーターは図録がなければ担当者すらわからないことが多く、ネット社会になった現代でも、アクセスするのはなかなか難しいものです。ある建築家の先生にインタビューをしているとき、本当にたまたま全く情報のなかった別の展覧会について話してみたら「その展覧会のキュレーターの人は昔からの友達だよ」と判明して、ご紹介いただいてインタビューできたこともあります。結果的に、5人の建築家及び研究者の方にお話を伺いました。

 このように、一年間研究を進めてくることができたわけですが、経済的な問題が常に悩みの種でした。コロナ禍以前から内定していたトビタテ!留学JAPANや、前田記念工学振興財団の研究助成などに採択していただいたことも、大きな助けとなりました。スイスは生活コストの高い国で真っ先に挙がるようなところです、渡航直後にモノは試しとハンバーガー屋に行ってみたら、普通のチキンバーガーが1500円で逃げ帰ったことをよく覚えています。滞在中に円安もひどく進み、1フラン145円だった為替も今では165円となり、いただいた学外研鑽プラスでの旅費も大幅に目減りしてしまいましたが、しかしてこうした金銭的援助がなければこの学外研鑽は実現不可能でした。例えば、スイスには長期の入国のためにビザではなく居住許可証を発行する必要があるのですが、一ヶ月あたり2000フラン(当時のレートでJSTの研究奨励費の2倍でした)の所得が必要、と言われて差し戻されたこともありました。そういった各種手続き、申請にあたっても、留学生交流課、教育プログラム推進室、環境・社会理工学院事務グループの皆様には大変お世話になりました。この場をお借りして改めてお礼を申し上げたいと思います。

Message

 グランドツアーという言葉があります、イタリア語で言えばグランツーリスモです。本来は、近代以降貴族階級の若者に流行した世界旅行のことを指しますが、欧州各国を巡って調査をする中で時折この言葉が思い浮かべていました。研究をしながらも、旅を通じて日本とは全く違う建築、都市、文化、はたまた安宿周辺の移民街の現状など、多くを見て学びました。時代や階級、観光と研究などいろいろな違いはありますが、自分のやっていたのは現代のグランドツアーだったのかもしれないな、と思います。皆さんもグランドツアーに行きましょう。

ETHへの通学路からみえるアルプス、年に数回しか見られませんが壮観です